年末年始の2つの重賞競走、高知県知事賞と南国王冠高知市長賞はいずれも好レースで、また新たな名勝負を生んだ。特に印象的だったのはやはりここ一番で復活を遂げたエスケープハッチの走りだろう。
現役に留まる事が危ぶまれる状況もあったという。田中譲二調教師は「なんとか市長賞に使えるように…」との一念でオーナーに休養を提言した。そして脚部不安に加え背中にまで張りがあった状態から、師自らが湯たんぽを使って温熱療法を続け、出走にこぎつけたのだ。
熱い騎乗を見せた西川敏弘騎手の「先生を始めスタッフに感謝したい」という言葉にも力が篭っていた。その西川騎手、今年は通算2000勝がかかるだけに(残り70勝)いいスタートとなった。
敗れたホーエイスナイパーは人気を背負った馬のレースをした。結果論としてはスローになってしまった分、エスケープハッチの追走が楽になったとも言えるが、他に有力馬がいない中で“たられば”を語るのは酷だろう。エスケープハッチが最後のドラマの主役となり、高知競馬のアラブ系競走はその幕を閉じた。
さてここで昨年、2007年を振り返ってみよう。
2007年の高知競馬は「騎手の年」だった。
これほどたくさん騎手の話題があった年は恐らくなかった。
書ききれないほどのそんな活躍から主なものを箇条書きにしてみる。
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・赤岡修次騎手
スーパージョッキーズトライアル(以下SJT)を勝ち抜き、地方競馬代表として12月1、2日、JRAのワールドスーパージョッキーズシリーズ(以下WSJS)に出場。
「世界」を相手に初日は首位、総合でも3位で表彰台に上がった。
高知所属として初のJRA勝利(エキストラ含め2勝)を挙げる。
またNAR全国リーディングで初の年間200勝(204勝)を達成。
・倉兼育康騎手
7月8日から韓国競馬での騎乗を開始。7月14日に高知所属騎手としての海外初勝利を挙げる。また11月18日には第4回農協中央会長杯で初重賞制覇。
・花本正三騎手
9月24日に短期騎乗中の笠松競馬場で通算2000勝を達成。高知競馬所属騎手の達成は4人目。花本騎手はその後笠松へ正式に移籍。
・鷹野宏史騎手
JRA騎手試験の一次試験に合格と報道される。次男の文裕(ゆきひろ)さんもJRA競馬学校騎手課程27期に合格しており、順調に行けばJRAでの親子鷹誕生も。
・別府真衣騎手
レディースジョッキーズシリーズ2007で総合2位に。
前年に続いての2位もポイントでは首位タイだった。07年の勝利数は82でこれはこの年の女性騎手最多勝。
NARグランプリ2007優秀女性騎手賞を受賞(2年連続)。
また08年1月6日の福山・こうちスタージョッキーシリーズシリーズでは紅一点ながら総合優勝を飾っている。
・宮川実騎手
NAR全国リーディングで年間100勝超え(119勝)。
2月25日に佐賀競馬場のセカンドジェネレーション、そして11月10日にこうち・福山スタージョッキーシリーズを優勝しており大器にとっていよいよ飛躍の年となった。
・中越豊光騎手
高知でリーディングジョッキーを獲っている同騎手が11月6日に兵庫で再デビュー。11月8日に勝利を挙げ、年明けの新春賞を6番人気のバンブージーコで制し、早くも重賞競走を優勝している。
・本橋孝太騎手・石本純也騎手
高知競馬で短期騎乗中の船橋所属の同騎手は、07年48勝という活躍を見せ船橋代表として全日本新人王争覇戦競走へ出場決定。
新人王史上でも異例のケースと言っていいだろう。また昨春デビューの石本純也騎手もルーキーながら大胆な騎乗でここまで28勝しており、こちらはもちろん高知代表として共に新人王を目指す。
・川江光司元騎手
JRA厩務員課程の一次試験に合格。引退後は育成牧場での仕事をこなしながら受験を重ねていた。
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いやはや何か大きな波のようなエネルギーが高知競馬の騎手達を突き動かしているかのような話題の数々である。もちろん宮川実・上田将司・別府真衣各騎手のような成長著しい中堅・若手の活躍はある程度予想された年ではあったが、他にもそれぞれがそれぞれの立場で努力をした結果が一気にこのようなニュースラッシュとなって現れたのであろう。
さて再び時間の針を少し戻す。
昨年6月、ある騎手達から夕飯に誘ってもらった。メンバーは年齢30歳前後から20代半ばの5人。兵庫に旅立つ緒方洋介騎手の送別会ということだったが、話は意外な方向へ進む。
騎手達のベクトルが高知競馬から外に向いている事は上記の活躍でも明らかだろう。理由は二つある。ひとつは自分達の騎乗技術がどこまで通じるのかを確かめたいという職業人としての本能。もうひとつはもちろん経済的な事由。
騎手としての能力が全国あるいは海外でも通用するのなら、最も賞金レベルの低い競馬場にいる状況には矛盾が生じる。当然高知から出て行きたくなるだろうし、実際にそうなっても引き止める理屈はない。特殊技能であり、会社員や公務員とは明らかに雇用条件が異なり、なおかつ危険も伴う職業だけになおさらである。当然ここでも移籍あるいは騎手免許返上の話が話題に上るのか…。
しかし彼らから出てきた話は違っていた。
「橋口さん、僕らはやりますよ」
彼らを中心に若手騎手が集まり今後についての話し合いをしたという。内心の想いはともかく、意見としては色々なものが飛び交ったであろう。そして出た結論はこうだ。
「ここで高知競馬をあきらめてしまえば、その後の自分達の人生に後悔が残るのではないかと思うんですよ」
その後、先輩騎手達に自分達の一致した意見であることを伝え、パルス宿毛でのファン感謝イベントを主催者に志願した。若手だと思っていた彼らが、もう自分の意思で立派に高知競馬を支えようとしている…。“高知競馬の為に”、それが彼らのスローガンとなった。
そんな若手のリーダー二人が昨年後半に“高知競馬初”の偉業をそれぞれ達成した。高知競馬所属騎手として大いにアピールすることと、自身の可能性を広げる二つのテーマを同時にかなえる活躍だ。
ライバルであり親友でもある二人。先を競うように大きくはばたく姿は実に頼もしい。そんな二人の「一瞬」を紹介しよう。
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赤岡修次騎手にとっても2007年は特筆すべき年となっただろう。
ハイライトはもちろん12月の阪神競馬場。97年にイージースマイルで報知杯4歳牝馬特別(現フィリーズレヴュー)に挑戦して以来となる舞台で、騎手として大きく成長した姿を披露したのである。ちなみに赤岡騎手のこれまでの歩みは当コラムの「GP通信版ジョッキーズトークVol.4」をご覧頂きたい。(07年5月17日分)
今回のWSJS。活躍の陰にメンタル面での闘いが隠れていた。昨年度に初めて高知競馬のリーディングジョッキーに輝いたとはいえ全国的にはまだまだ知名度の低い存在。本人も「あれは誰だ?」という視線を感じたそうだ。更に慣れない場所での装鞍、検量作業に大変な疲労を覚えた。初日のエキストラ騎乗は当初全然競馬にならなかった。
「どこのアンちゃんが来たんだ?」。容赦ない言葉が飛んでくる。
ここで威力を発揮したのが随行した西山裕貴騎手の存在。
西山騎手本人は「僕もどうしていいか分からなかったですよ」と否定するが、赤岡騎手にとってはそのいつもと変わらぬ態度が何よりの救いになった。西山騎手の表情を眺めた後、赤岡騎手は「ああ、このままだったら何をしにきたか分からないな。こうなったら後悔を残さないようにいつものレースをしよう」と考えた。そう開き直りに似た感情が生じた。
WSJS第1戦ゴールデンブーツトロフィーは芝の2000m戦。13番人気のアキノレッドスターは先行して結果が出るタイプ。もちろん指示も「行け」と出た。人気薄の馬で、そして最も自分を出せる戦法ならもう迷いはない。人気馬を引き連れて逃げるアキノレッドスター。直線を向いて並んできた後続馬に馬体を併せて追い出す形は正に高知競馬での姿そのものだ。結局勝ち馬とコンマ3秒差の4着に粘った。
第2戦ゴールデンホイップトロフィーは芝のマイル戦。4番人気と高評価のカネトシツヨシオーとコンビを組む。同馬は中距離に実績があり、マイルはこなせるがベストではないというデータが残る。前走は上がり3Fを33.9秒という豪脚で追い上げながら5着。決め手は確実ながらもう一歩詰めきれないタイプのようだ。赤岡騎手は果たしてこの馬をどう導くのか?
レースは好位集団に人気のスズカコーズウェイ(ステファン・パスキエ騎手)、ハイソサエティー(安藤勝己騎手)らがいて後半の追い比べに備えている。カネトシツヨシオーと赤岡騎手はそれらの後ろの集団、9番手を進んでいた。
さあそして向こう正面から3コーナー、やはり騎手招待レースだけに先団は早めに動き始めた。さてどうする?脚を溜めるだけ溜めるか、それとも外目の好位置をキープできるよう早めに動くのか?
答えは後者。後悔を残さないように勝ちに行くのが今の赤岡スタイルだ。外目をすーっと動くと滑らかな加速で前を行く集団に取り付く。直線に向いて残り400mでいよいよ先頭だ。ここからは内目を伸びてくる各馬に注意。
スズカコーズウェイ、更に満を辞してワイルドファイヤーの強襲…。最後はわずかハナ差でカネトシツヨシオーが凌ぎきる。独特の勝負勘がJRA初勝利を手繰り寄せた。しかもこの瞬間についての質問に赤岡騎手はこう答えた。
-最後は際どくなりましたね?
「いや、あれはもう負けないレースですから」
ゴール板まではハナ差でも変わらない逆算が成り立っていたと言うのか…。
レース全体が見えていないと勝てないとはよく聞くが、慣れぬ舞台であってもいつも通りの判断ができるとすれば、やはり騎手というアスリートは我々の想像を越えた所で戦っているのだと実感する。
そしてまたこの輝かしい活躍が「高知競馬をあきらめない」という決意に繋がっていたことを喜びたい。この春、別の選択肢を持っていた赤岡騎手に競馬の神様が贈り物をしてくれたのかもしれないのだ
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韓国馬事会は愛称をKRAという。高知県競馬組合が使うものとまったく同じだ。実は先方もそのことを知っていて、倉兼育康騎手を紹介する現地の新聞記事の中でも「奇しくも」と触れていた。
ソウル競馬場はなかなかの規模。7万人以上の入場が可能だという。05年の年間売上げはソウルだけで4兆4000億ウォン(5500億円位)だから相当なものだ。売上げは全体の72%が払い戻しに充てられ、発売源泉税18%(内訳は馬券税10%、教育税6%、農特税2%)、社会公益還元2%、費用及び法人税に6%、更に競馬発展積立金2%と定められている。
レースは1周1600m左回りのダートで行われ、距離設定は1000から2300mまでの9コース。1着賞金が3000万円を超える重賞競走もある。内国産と外国産のカテゴリーがあり、馬券は単勝、複勝に馬複、馬単の4種類。1枚のマークカードにつき10万ウォンまでと購入金額の制限が設けられている。
倉兼育康騎手は韓国競馬初の外国人騎手(招待レース等を除く)。韓国馬事会の国際化推進策の一環として地方競馬全国協会を通じて呼びかけた交流事業に倉兼騎手が手を上げた形である。
7月8日が初騎乗で3鞍乗って2着1回。翌週の14日に初勝利を挙げている。7月22日には4万人の入場者の前で重賞・SBS杯を2着。
騎乗したトトロ号は人気薄で、後方から追い込んだレース振りは「追い込みのイク」の面目躍如。そうゲートのタイプが違うため当初スタートが合わず、特徴を出すためにもと追い込みを披露していたらいつの間にか代名詞となっていた。
倉兼騎手のような鐙の短い騎乗フォームはまだ韓国では珍しい。
若手騎手の中にはそれを真似てみようとする騎手がいる。またイクの育った競馬場ならばと、高知での騎乗を希望する騎手もいるそうだ。倉兼騎手も自分が韓国で騎乗する意味合いを理解していて、競走中の進路についてなど日本で教わったことを若手騎手に話すことも。
ただし外国人騎手に対する風当たりがないとは言わない。
彗星の如く現れて好成績を残せば、その反動も出てきて、勝負になる馬がなかなか回ってこないようになってくる。
それでも人気のない馬を上位争いに加わらせて存在感を放ちつづけた。11月18日には第4回農協中央会長杯(国産、3歳以上牝、1800m)で韓国重賞初制覇をも達成した。
韓国でのここまでの通算成績は
294戦 23勝 2着17回
勝率7.8 連対率13.6
である。(1月6日現在)
パラグアイで育ち、母国でありながら異なる環境の日本で騎手となった。文化のギャップはすでに経験済み。
(GP通信版 ジョッキーズ・トーク Vol.3 2005-07-27を参照)
そういう意味ではタフな部分を持っているとはいえ、この挑戦は大変なエネルギーを要するとも思う。
12月2日、ソウル競馬場の最終12レースは1400メートル戦。
時間が4時半に迫って薄暮ナイターのような状態。照明が点く。
この日まだ勝ち星のない倉兼騎手はこのレースも人気薄の馬に騎乗する。この馬は2走前に1200メートル戦で2着となっているが、1400mではもうひとつ芳しくない成績だ。
向こう正面右手でゲートが開いて11頭がスタートを切った。
内から好位を取る倉兼騎手の3号馬。内々を回れる絶好のポジションでピタリと折り合いを付けている。しかしこの競馬場の展開は荒い。直線が400mもあるのに各馬の仕掛けは早いのだ。3コーナーでは後続が続々と動いてくる。
直線に向いて内で必死に粘る3号馬。まだまだゴール板までは遠い。ここでスタンド6Fの観覧席に韓国アクセントの声が響いた「イクヤスッ!」。高知からの応援団も負けずに叫ぶ。「育康~!」。この声は異国の地で頑張る騎手に届くか…?
倉兼育康騎手はソウルでパソコンを入手した。
高知競馬のライブ中継を見るためだという。赤岡騎手が勝ち抜いたSJTもしっかり観戦していたそうだ。
「修次さんに置いていかれるばっかりで…」ため息交じりに言う。
常に高知競馬に軸足がある。
阪神でWSJSの表彰式が行われている頃、倉兼育康騎手は日本からの応援団が待つ貸切バスに乗り込んだ。最後のレースを懸命の騎乗で3着に粘った倉兼騎手は大きな拍手で迎えられた。
そして開口一番、「修次さん、どうやったです?」。
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「ステッキ一本で世界を…」これが騎手という職業の本当の姿。
筆者が競馬の世界に関わったのが平成6年からだからもう14年という年月が過ぎたが、この間に色々な事が変わったようで、抜本的なことは何も変わっていないようにも思える。しかし赤岡修次騎手(平成6年初騎乗)と倉兼育康騎手(平成7年初騎乗)はこんなにも大きく成長した。
1月14日には全日本新人王争覇戦競走がゲートインを迎える。
またこの原稿を書いている最中に別府真衣騎手がNARGP2007の優秀女性騎手賞を2年連続で受賞したというニュースが飛び込んできた。
今年もまた「騎手の年」となるか?ベテランにも若手にも幸福な騎手人生が広がっていくよう心から祈る。
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「Road to Dirt Grade」と銘打って始めたこのゴールポスト通信。
平成十二年から八年間のうちに状況も変わり、今回で一旦終了とさせて頂きます。また別の形でRyoma Derby上でお会いできたら…。
長文の読みづらい構成ながら、読んで頂いた方、感想をお寄せ頂いた方々にお礼を申し上げます。
橋口浩二
追伸
競馬を愛した作家、月本裕さんの急逝を心より悼み、
ご冥福をお祈りいたします。