1995年・新潟 ~百年の孤独~ 前篇

 現在を遡る事13年前から約5年間(1994年から2000年あたり)、当時は高知競馬の開催日程が飛び飛びであったこともあり、その合間を縫って「競馬を巡る旅」に熱中していた。
理由は単純、とにかく競馬の事を一から勉強するためである。94年に姫路競馬場から始まったこの旅は、競馬場だけにとどまらずトレーニングセンターや競走馬のセリ、はたまた調子に乗って海外にまでその目的地を広げたが、多くはきちんと決められた日程もなく、更にほとんど観光を伴わないという点で大変奇特な「競馬見学ツアー」と相成った。先入観が無いから見るもの全てが目新しい。新参者だから質問をぶつけやすい。それを暖かく受け入れてくださった競馬関係者の皆様には感謝の一言だが、お陰様で旅に出ると必ず何かを手に入れられた。これも熱中の要因のひとつであることは間違いないだろう。

 「競馬を巡る旅」にはまるで偶然を装った贈り物のようなドラマが付いてくる。それはある時に底抜けに明るいエピソードであり、またある時は幼い頃に感じた古布の手触りのような、しみじみとした思い出になったりする。時間をかけてそこへ出向いたからこそ立ち会える、ある種の奇跡と言える瞬間が確かにあった。常々いつかはそういう瞬間瞬間をまとまった文章にしたいと考えているが、あまり時間が経過しすぎるのも問題なので、この場を借りて少しづつ紹介させてもらおうと思う。初回に登場するのは1995年に新潟県競馬を見学させてもらった際のエピソード。筆者が競馬実況を始めて2年目の夏という時期にあたる。主人公となる馬はアタゴゴッドというアラブ系の4歳牝馬で、その管理調教師は故・賀藤安昭さん。翌日に控えたある騎手招待レースで1番人気確実な馬。その馬が唯一抱える弱点を克服させる為に、勝負にこだわる調教師がとったある作戦とは…。

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 1995年7月・新潟  ~ 百年の孤独 ~

 
 宮崎出身で高知在住の僕からすると、七月の半ばともなればTシャツの上にアロハシャツの一枚も羽織れば十分のはずだった。しかし搭乗機が、曇天のため鉛色に鈍く光る日本海上空を降下し始めた時、なにかしら嫌な予感がした。たまたま曇っていたからだけでは済まない海の色の違いを感じて急に不安になったからだろうか。

 新潟空港に降りて予感は現実となった。気温は二十度と表示されている。
「上着を持ってきたほうが良かったですかね」
同行してくれた高知競馬・雑賀正光調教師の方を振り返ると、やはり軽装の雑賀さんも「寒いなあ」と、苦笑している。

 僕はこの年、高知競馬場の場内実況放送を担当するようになって二年目。前年の忘年会シーズンに二次会で同席して、
「どこか見学に行きたいんやったら、いつでも紹介するよ」
と声を掛けてくれたのが雑賀さんだった。
「全国どこにでも知り合いがおるさかい、ほんまに遠慮なく言うてな」

 雑賀さんは廃止となった和歌山・紀三井寺競馬場の元調教師。競馬一家で育ち、父も調教師。弟の秀介さんは二千勝を達成した名騎手で、現在やはり高知で調教師をしている。
「僕は若い頃ヤンチャでね。騎手もやったけど体が大きくてしんどかった。ふらふらしてるところをうちの若い衆に捕まって、無理やり列車に押し込まれて高崎に行かされた」

 どうやら息子の行状を見かねた父に、高崎での厩務員修行をさせられたようだ。そんな父の意図を汲んで、雑賀さんは立派に“更正”し調教師免許に合格する。

「紀三井寺では弟が乗っていい競馬をしてね。雑賀一門でほんといい競馬をしてた…。ところが市が検討委員会を作ったらあっという間に廃止の方向に行ってしもうた。調騎会と市の話し合いの場で、えらく市の肩を持つのがいたんで『どっち向いて話ししとんや!』と怒鳴ったったわ」

 そんな経緯もあって、高知競馬の存廃問題でも敏感に反応したのが雑賀さんだった。

「紀三井寺の最後の日にね、親父と二人でレースを見てたんよ。親父は何も言わんとね、僕も黙ってポロポロ涙流しながらね…」

 新潟空港の駐車場に赤間亨さんの車が滑り込んだ。赤間さんは父・赤間松次さんと共に親子で新潟県競馬の調教師。競馬社会では知る人ぞ知る名門の一族だ。ジーパンの似合うすらりとした体形は年齢を感じさせず、見るからに「現役」で馬に乗っている雰囲気だ。

 雑賀さんと赤間さんは旧知らしい打ち解けた会話を交わす。僕も紹介されて一緒に車に乗る。いったん新潟競馬場のすぐ近所にある赤間さんの実家へ移動し、更にここから3人で賀藤安昭調教師の自宅へ向かう。いつもジャケットを着ている感じの賀藤さんは、気さくな雑賀さんや赤間さんとはちょっと違いダンディーなタイプ。リビングは大レースを勝った時の賞状やトロフィーが並び、庭に向かいサンルーム部分が伸びる構造になっている。

「馬主さんにお願いしてね、サンルームみたいにしてもらったんだ」

 脇ではまだ幼い2人の娘さんがはしゃぎながら遊んでいた。しっかりもので器量よしという、厩舎のおかみさんを絵に描いたような奥さんもその姿をにこやかに見守っている。
厳しい勝負の世界と優しさに溢れる家庭生活の融合。競馬関係者の日常とはそもそもそういうものだろうが、覗き見る立場としては緊張感を感じる空間でもある。壁に並ぶレース写真には賀藤さんの勝負へのこだわりが強くにじむ。調教師が皆そうかというと意外にそうとも言えない。スポーツ選手や監督など、勝ち負けに関わる職業の人々にも個人差はある。負け犬のように勝ちにこだわらなくなった、という例外は別だが、とにかく勝つことで前に進みたいという欲求の強さがその人の積み重ねる成績と比例する事は想像に難くない。不用意に笑わない賀藤さんの表情にその強さが刻印されていた。

「今日は韓国料理の店をとったから」

 雑賀さんとの再会のために賀藤さんが選んだ店は新潟市内の「李朝」という韓国料亭。
玄関から木板の廊下をずいぶん歩いて十六畳位はある広間に通される。当たり前だが和風とは少し違う趣の装飾がエキゾチック。食膳は賀藤さんと赤間さんの並びに対面して雑賀さんと僕。チマチョゴリを着た二人の女性が間に座って料理を取り分けてくれる。

「いらっしゃいませ、先生いつもどうもありがとうございます」

 女将の鄭京淑さんが挨拶にやってきた。

「女将、今日はちょっと相談があるんだ」

 賀藤さんが切り出した話は翌日のレースの件だった。

「あら、なんでしょう。お力になれるといいんですが」

 広げた専門紙に一同が見入った。翌日、七月十六日の新潟競馬第十競走は「日韓チャレンジカップ」というタイトル。韓国競馬の騎手五人と地元新潟競馬の上位騎手五人が腕比べをするという騎手招待競走だ。韓国馬事会がKRAと名乗る以前の話。こういった交流がこの頃すでに行われていた。

日韓ChC A1
1995年  7回 第05日 新潟
10R ダ1,600 10頭
賞金 1着:150.0 2着:52.5 3着:25.5
   4着:15.0 5着:12.0(万円)

枠馬 馬名       性齢
斤量 騎手    厩舎
11 ワイエスバット  牝4
55  山田信大  渡邉十郎
22 ニノウジオージャ 牡4
54.5 洪成昊   横山孝四郎
33 ムーミンジュニア 牡4
55.5 森川一二三 赤間松次
44 ラブリーセーミ  牡4
54.5 崔峰嗾  村岡 洋
55 アタゴゴッド   牡4
57  李成一   賀藤安昭
66 ロッキータイム  牡4
54.5 大枝幹也  佐藤忠雄
77 スマノロメオ   牝4
55  向山牧   佐藤忠雄
78 ホマレソフィア  牡4
54  洪大裕   高橋鐡雄
89 キャプテンシー  牡4
55  榎伸彦   岡 史郎
810 ファインスター  牡4
54.5 禹彰九   清野忠雄

 専門紙の印は見事なまでに揃っていた。本命を示す二重丸は全て五枠五番、賀藤安昭厩舎のアタゴゴッドにあり、対抗を示す丸はというと七枠七番スマノロメオに集まっていた。
完全な一騎打ちムード。当然ながら招待競走だから騎乗馬は抽選で決まる。その結果、賀藤厩舎のアタゴゴッドには韓国の李成一騎手が、そして対抗馬のスマノロメオには新潟競馬のリーディングジョッキーである向山牧騎手が乗る事になっている。

「普通にやれば負けないと思うんだけどなあ」

と、賀藤さんは自分に確認するように言った。なるほどアタゴゴッドはハンデ頭でもあり、これだけ印が集まるからには能力値も高いのだろう。賀藤さんの勝算も至極当然である。

「ただね、この馬は早めに先頭に立つとソラを使っちゃうんだ」

賀藤さんは続ける。ソラを使うとは競馬用語で、この場合は馬群の先頭に立ってしまうと競う相手がいないために走る事から気を抜いてしまう馬の癖を指す。勝負を決する最後の直線でこの癖が出れば思わぬ敗戦を喫する可能性は高い。しかも明日の新潟県競馬はJRA新潟競馬場を借りての開催。改装前とは言え三百二十六メートルに及ぶダートコースの長い直線で手応えを無くす様は、想像するだに恐ろしい。

 賀藤さんは女将に説明を始めた。とにかくこの馬は早めに先頭にたっては駄目だから、逃げ馬の後につけて直線半ばでこれを交わすようなレースをして欲しいという事。そしてこの指示を明日騎乗する李成一騎手に伝えたいのだが、随行の通訳が競馬に明るくないので伝わっているかどうかが怪しい事。指示を確実に伝える為、改めて文章にして本人に渡したいので今言った内容をハングルに訳して書いて欲しいという事などを。

「それでしたらお安い御用ですわ」

 女将は快諾し、紙とペンを用意するように内線で連絡をとった。しばらくするとハングルで書かれた李成一騎手への手紙が出来上がった。

「いや、ありがとう。これがあれば大丈夫、間違いない」

 明日への準備が完成した事を知ると賀藤さんの表情が明るくなった。宴席は和み、会話も弾む。料理の話、昔話、馬の話。食事が終わるとチマチョゴリの二人がスーツに着替え、皆でカラオケスナックへ移動となる。日本語がおぼつかない彼女達との会話に苦労する。
横に座った色白の女性と話題探しを繰り返し、ハリウッド映画にたどり着いた。

「マイケル・J・フォックスがね」
「はぁ?」
「あのマイケル・J・フォックスがね」
「はぁ?」
「いや、あのバック・トゥ・ザ・フューチャーの」

「ああ。まいこーじぇいふぉーっくす、ね」

 カタカナ発音では分からない、と言わんばかりの彼女に翻弄されながら新潟の夜が更けて行く。明日は日韓チャレンジカップ。果たして賀藤調教師の勝負への執念は実るのか?

後篇へ続く

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