ジャズピアニストのチック・コリアは来日時に食したチャーハンの味が忘れられず、その店の主人に頼み込んで“企業秘密”の味付けを教えてもらったことがあるそうだ。なんでも代わりに私の“企業秘密”を教えると交渉したらしいが、あの両手を入れ替える独特のピアノフレージングは料理人の方の役に立ったのだろうか…。
そういえばジャズの帝王、マイルス・デイヴィスは「音楽にはアレがないと駄目なんだ」と独自の哲学を語っていた。「アレ」と言われてもすぐには何のことか分からないが、マイルスの“企業秘密”ともいえる「アレ」の正体には大変興味が湧く。少なくとも「あなたの仕事には『アレ』がありますか?』といきなり問われれば職業人の誰もがドキッとすることは間違いない。
さてGP通信版ジョッキーズトーク、前回から2年の時を経てVol.4となる。
今回満を持して登場するのは、昨年度、初のリーディングジョッキーに輝いた赤岡修次騎手だ。数年前から逃げ、先行に独自の技術を見せ始めた赤岡騎手に何度かそのポイントを聞いてみたが、いつも答えは同じ。「ヒ・ミ・ツ!」。トレードマークのあの笑顔で交わされてしまうのである。果たして今回のインタビューでは赤岡騎手の「アレ」にどこまで迫れるのだろうか?
それでは、まず赤岡騎手のプロフィールから紹介する。
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赤岡修次(あかおかしゅうじ)
1977年3月15日高知市生まれ(30歳)
初騎乗日 1994年10月10日
工藤英嗣厩舎所属
(ちなみに工藤師は叔父にあたる)
通算成績 (5月16日現在)
7185戦938勝 重賞12勝
95年 NARグランプリ 優秀新人騎手賞
95年 内閣総理大臣杯日本プロスポーツ大賞・地方競馬部門新人賞
96年 マカオで行われた国際見習騎手招待競走に出場
97年 阪神競馬場・報知杯4歳牝馬特別にイージースマイルで遠征
生涯成績 7185戦938勝
勝率13.1 連対率23.6
本年成績 254戦 64勝
勝率25.2 連対率41.7
前年成績 661戦167勝
勝率25.3 連対率39.8
(成績はすべて07年5月16日現在)
-重賞勝ち鞍-
☆イージースマイル
(96年金の鞍賞、97年花吹雪賞・黒潮皐月賞・高知優駿・RKC杯)
☆メイショウタイカン
(98年黒潮スプリンターズカップ・黒潮マイルチャンピオンシップ)
☆カチマサル
(01年高知優駿・黒潮菊花賞)
☆エスケープハッチ
(05年-06年南国王冠高知市長賞)
☆マイネルリチャード
(06年珊瑚冠賞)
(注)
花吹雪賞は佐賀競馬場
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☆☆ 新人騎手と“アンカツさん” ☆☆
- デビュー2年半(97年3月)でJRA阪神競馬場に遠征しました。
(イージースマイル桜花賞出走を懸けて報知杯4歳牝馬特別に挑戦)
「当時は数日前から攻め馬とかゲート練習とかしなくちゃいけない規定だったんですよ。それで(笠松・ミリオンチャームに騎乗予定の)安藤勝己さんも調整ルームに入ってて、2日位夕飯をご一緒しました」
- それはまたすごい大先輩と一緒でしたね?
「若手だし、色々聞きたいじゃないですか(笑)。そしたら『赤岡な、レースはスタートでほとんど決まるんぞ』って。『特に地方競馬は7割スタートで決まる』っていう話になって」
- おっ、早くも核心…。
「僕も同じように考えていたんですよ。スタートで遅れていい位置が取れなかったら勝つ確率が下がる。それで『やっぱりスタートは仕掛けた方がいいんですかね?』
って聞いたら、『違う、ゲートの中では四本の脚を全て地面につかせておかんといかん、じっとさせておくのが一番いいんだ』って教えてくれました」
- なんだか説得力が違いますね。
「そうですよね、その時の話はすごく印象に残っています。今はスタートに自信があって、ああこういうものか、こうやると馬は速いなという自分の感覚があります。この感覚は人によって違うでしょうけどね」
- 人にはない、スタートのコツを掴んだわけですね。
「今では馬に“出るコツ”を教えてあげるんですよ。出ない馬が出るようになる。関係者にも喜ばれましたね、あの馬で逃げたかって(笑)。高知で逃げ主体の騎手って意外と珍しいんですよね」
- 安藤騎手の言葉は大きなヒントを与えてくれました。
「そうそう安藤さんは『赤岡な、馬は不正駆け足が一番ダッシュがつくんぞ』とも言ってました」
- 不正駆け足?
「馬って右脚と左脚を互い違いに出すでしょう。不正駆け足というのは両前脚を一緒に出してしまったりして、そうですね、人間でいうと走る時に右手と右足を同時に出してしまうような感じになるんですよ」
- それは走りにくい…。
「そうすると馬は慌てるじゃないですか。早く普通のフォームに戻そうとしてバタバタッて動くから速くなる(笑)」
- なるほど条件反射のようなスタートダッシュになるんだ(笑)。
赤岡騎手はそれもやっているんですか?
「いややってないです。それはどうやっていいか分かりません」
- じゃあ安藤騎手はやっている?
「いやぁ、どうでしょうね?それも分からないです。でもいつか側で見て確かめてみたいですね」
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☆☆ 山あり、谷あり ☆☆
- デビューからの好成績で新人賞総なめ。騎手人生は順風満帆のスタートになりました。昨年度はついにリーディングも獲りましたが、ここまでを振り返っていかがでしたか?
「うーん、山あり谷ありというか人生のいい所も悪い所も見ましたよね。レース中のケガで4ヶ月ほど入院した事があるんですが、戻ってみるともう乗り馬がいない。自厩舎も丁度悪い時期で、5年くらい底を味わいましたね」
- デビューからの成績が良かっただけに、そのギャップがすごい。
「退院したらすぐに元のように乗れると考えていたんですが、甘くなかったですね。力を入れるとケガをした脚が痛くて、ハズレそうな感覚があって…。
自分の考えているような騎乗が出来ないんですよ。2~3年はまともに追えない。レースのここからっていう大事な所でちゃんと追えないんですよ。
そうすると評判も落ちていくし、乗り馬も集まらない」
- 人生の“谷”の部分ですね。
「あの時は苦しいっていうか、もうあきらめてましたね。もういいかな、みたいなね。引退というか、他の事をしようと考えた時期もありましたが、支えてくれた人もいましたしね、なんとか辞めずにいました」
(赤岡修次騎手、高知での年度別勝利数とリーディング順位)
平成6年度 18勝(騎乗は半年間のみ)
平成7年度 67勝 7位
平成8年度 81勝 5位
平成9年度 71勝 5位
平成10年度 67勝 5位
平成11年度 43勝 11位
平成12年度 32勝 11位
平成13年度 32勝 13位
平成14年度 50勝 8位
平成15年度 70勝 6位
平成16年度 90勝 5位
平成17年度 140勝 2位タイ
平成18年度 149勝 1位
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☆☆ Strike Back! ~ 反撃開始 ~ ☆☆
- やはり浮上のきっかけはケガの回復ですか?
「3年位して違和感がなくなったんですけど、もうその頃は乗り馬はいないし1日1~2頭とか、全く乗らない日もありましたよ。もうそうなると昼間から飲んでる(笑)」
- するときっかけというのは。
「北野さん、徳留さんが移籍して、光司(川江騎手)が辞めて、松木厩舎に乗り役がいなくなったんですよ。その時手伝いに行くようになって…。もちろん最初からいい馬に乗せてくれるわけないんですけど、印のない馬でもどんどん勝ったんですよ」
- おっ、ついに反撃開始だ!
「そうしたら先生もいい馬に乗せてくれるようになって…。デビューの頃、いい勝負をして勝つポイントみたいなものは分かっているから、いい馬に乗せてくれれば取りこぼしはしなかったんですけどね。それでもなかなか回ってこなくて。まあ、あんまり自分から営業に行くタイプじゃないんで」
- もう脚も痛くない。
「セイセイコウ、ノボエンペラーで連勝して。松木先生の所だけで年間に相当勝たせてもらいましたよ。それから西川さんがエスケープハッチやマルチジャガーを回してくれたのが大きかった。北野さんや徳留さんらが動かなかったら、あのまま、腐ったままでいたかもしれない。やめようやめようと言っていたかもしれないですね」
- 苦しい時期、西川敏弘騎手には相当励まされていたそうですね。
「西川さんには本当にマンツーマンで支えてもらったんですよ。本当にお陰ですよ。他にも友達とかね、知り合いに陰から応援してもらってね。かなり僕、人に助けられてますよ。なかなかお返しも出来ない位」
- じゃあ、昨年度のリーディングジョッキーはそういった人たちへの恩返しになりましたね?
「そう感じてくれる人もいるかもしれませんね。でもこの苦しい時期に、本当に人のありがたさ、それから恐さを感じました」
◎この件に関して西川敏弘騎手は「いや、本人が頑張ったんですよ」と涼しい顔で返す。しかし別の騎手は、もう赤岡騎手は辞めてしまうのではないかとまで感じていたそうだから、本人のモチベーションの低さは想像に余りある。後にリーディングとなる騎手がこれほどの危機に見舞われていたのだ。
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☆☆ セイセイコウと作りあげた「赤岡スタイル」 ☆☆
- 再び勝ち始めた頃、ある馬の時だけ騎乗フォームが違っていると感じた事があります。
「セイセイコウですね。あの馬は難しくて、僕以外で勝ってないですね」
◎セイセイコウ
牡 黒鹿毛
父 アスワン
母 ミスラセーヌ
調教師 松木啓助(高知)
生年月日 1999年3月11日
通算98戦22勝(5月16日現在)
北海道デビューで21戦3勝
2003年(平成15年)10月に高知転入、緒戦を赤岡騎手で勝つ以来高知では77戦19勝、うち赤岡修次騎手で61戦19勝。先行タイプで、好調時にはA2でも2着している。
- どんなポイントに注意して乗るんですか?
「あの馬はすごく気持ちに応えてくれる馬で、僕は結構言い聞かせながら乗っています」
- 言葉で?
「いや呼吸を合わせていくというか、心の中で言い聞かせるんです。(先行して)まだ、まだと言うとそこで馬も我慢してくれて、いざいくぞという時には反応してくれる。もう隣(後続馬)が来て、追い出しに入っているんだけど、でもまだ。隣がいくら行ったってまだ。最後には勝てるからって」
- それって正に現在の「赤岡スタイル」ですよね?
「逃げの元祖っていうか、こうやって楽をさせたら僕ら(馬)は最後まで期待に応えるよ、って教えてくれたのがセイセイコウ。これは逃げたらどの馬でも使えますよ」
- 「会話」は手綱でするのですか?
「いや、もうそれは気持ちですね。話しかけますね、言葉じゃなく。まだまだまだと、遊ばせて、ハミを抜いて。ハミ掛けないように…。馬だから調子がいい時もあれば、悪い時もある。でも頑張って欲しいと話しかけ、気持ちを伝えていく」
◎その頃、赤岡騎手はセイセイコウの鞍上でピタッと馬に吸い付くような騎乗姿勢を見せ始めていた。脚が痛かった頃には再現できなかった理想のフォームだ。馬と“会話”するため自然にそうなったと表現すべきか…。
こうして大きな苦しみを経た後で、赤岡騎手はマイルスの言う「アレ」を手に入れた。赤岡修次騎手の騎乗には「アレ」があるのだ。
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☆☆ メンタル ~ 集中力をコントロールする ☆☆
- 勝てるようになると、また欲が出ますか?
「昔はこんな気持ちはなかったけど、ある程度乗せてもらうようになると期待に応え続けないといけない。悪い時期を経験しただけに、失敗するわけにいかないと感じてます。自分に気を抜けないというか、悪いクセが出ないよう…」
- 欲ではなくて、自戒のようなものですね。
「スポーツってすごくメンタルが大きいんですよ。ほとんどメンタルで決まりますよね。気を抜いていると負けますもん。ああ、今日は集中できてないなと思ったら、こんな馬で負けるとこないなあという馬で2~3着になりますね。馬も気を抜くんですよ。で、いかに早く修正するかなんですね」
- 集中するのもメンタルコントロールということですね?
「ちょっと勝てるようになって、リーディング5~6位を2年位行き来して。
その時はそこそこいい馬に乗れているのに、負け出すと何週間も勝てなくなるんですよね。だから上位の人はいかにそのブランクを短くするかですね」
- そこでもうひとつ課題が出来た。
「人間だから上位の人にも悪い時はあるわけですよね。だからそのスパンを短くする。1週間悪かったら次の週は元に戻しておかんといかんという。
だから西川さんとか中西さんを見ていたら、やっぱり立て直しが早いですよ。
それでやっぱり何年も常に上位にいるんでしょう。だから自分も絶対に気を抜かないと…。今はもう一日勝てなかっただけで悔しいじゃないですか。
だからもう、2着とかだったらもうね。今は2着だったらケツ(最下位)の方がマシじゃないだろうかみたいな気持ちですね。もう勝たないと意味がない」
- ずいぶん“勝負師”に成長しましたね?
「だからもう、乗せてくれた人や西川さん、それに陰から応援してくれた人に感謝ですよね。本当にお陰様です」
◎最後は重ねて感謝を口にした赤岡騎手。最近の趣味はと聞くと、「英会話」という返事が返ってきた。どうやらまだまだ成長を止める気はないようで、その心意気や良し!一時は騎手を辞める事すら考えた30歳のリーディングジョッキーは、「アレ」を手に入れてなお発展途上を自認する。