高知競馬最大の注目馬、イブキライズアップが6月15日の準重賞・四万十特別(建依別賞TR)をなんと7馬身差で圧勝し、連勝を16と伸ばした。このレースでの相手関係、そして内容を考えればこの馬が現時点での高知競馬最強である事に異論を挟む余地はないだろう。
それにしても強い競馬だった。スタートはいつものようにもっさり。しかし2コーナーを回って気合をつけると、中団の後方からただ一頭エンジンの違いを直感させる動きで一気に先団へ。傍若無人な戦法のようでいて、上がりは37秒台の後半でまとめており、もはや高知競馬で走る以上敵となるのは自らの脚部の状態だけと言えるだろう。このレースの戦いぶりを何か著名な競走に例えるとするならば「クロフネが勝った武蔵野S」のようだった。今後について陣営は、適当な番組が見つかればダートグレード路線への挑戦も示唆しており、不慣れな輸送を克服できればいきなり複勝圏内の走りを見せても驚けない。
イブキライズアップは高知競馬生え抜きデビューの馬ではない。中央競馬に入厩しながらも蹄底の骨瘤などに悩まされ1戦未勝利で登録抹消。高知で時間をかけて立て直され二度目のチャンスを与えられた優駿だ。預託料の違いや高知独自の故障馬再生技術が可能にする事例であろう。事実、高知移籍後に2度目の長期休養をした理由は深管骨瘤であったが、レントゲンにも写らない様なこの症状を的確に見極めきちんと治療できたことが連勝記録の背景にある。
先日、高知新聞の夕刊に大きな特集記事として取り上げられたのはハルウララという牝馬だった。この馬は高知生え抜きデビューだが、なんと勝ち星なく88連敗中である。漠然と捉えていたこの連敗記録、ひょっとするとギネスブックに掲載される可能性がある大記録かもしれない。何がすごいかというと、これだけ勝てずにいても登録抹消とならずに走り続けていられる事だ。高知にはナムラコクオーもいる。あのナリタブライアンのダービーで2番人気に推された馬が今も現役で勝ち星を重ねている。12歳だ。この春にはG3の黒船賞にも出走した。強い馬も弱い馬もいる。皆立派な高知競馬の主役達だ。
実際の現場では人と馬とのリアルワールドが繰り広げられている。飼い葉桶の中に入れるべきものを整え、これを持ち上げてみればリアルワールドの重みが分かる。この重みはG1ホースとハルウララとの間にも差がない。こういう現場には見てみないと理解し得ない事実が数多く存在する。見もしないで語れるものではない。
さて話は昨年の7月に遡る。益田競馬場で「高知競馬騎手招待競走」が行われた時に、「高知の騎手を呼ぶのだから高知の実況にも来てもらって」といった理由で声を掛けていただいた。残念ながらその時には都合がつかなかったのだが、益田競馬場の現場を見せて頂きたい一心で別の日に押しかけて実況させてもらった。まるで珍客だが主催者の方はじめ、実況をされているお二人、馬主会の方々、調教師の方、皆さんに暖かく迎えてもらえて実現できた。その時の様子は昨年の当コラムに書いてあるので詳しくはそちらをご覧頂きたい。
実は筆者を益田に呼んでくれたのは当時の馬主会長だったNさんだ。高知で行われた黒船賞前夜祭にて初めてお会いし、「男気が服を着て歩いている」ような印象を持ったが、実際にそれに違わぬ素晴らしい人物である。
よく考えてみて欲しい。当時の益田競馬の出走手当は2万円。1着賞金は重賞等を除けば一律10万円という金額だった。預託料は込み込みだと10万円程度だったというから、平場で1着しても進上金などを差し引けば赤字である。
ここで馬主をしている方は競馬をすればするほど赤字が出る。それでも馬が、競馬が好きだから、地元の競馬を愛しているから続けるわけだ。もちろん手を引いていく馬主もいるだろうし、それは止むを得ない。廃止を呑んで補償金を受け取ろうと主張する者もいただろう、それも無理はない。しかしNさんは益田競馬存続への道を模索し続けた。もはや利権も損得勘定も入り込む余地はない。しかも益田市は市町村合併の動きの中で、競馬廃止の方向へと向いていた。
馬主会長としてはまだ若手になるNさんは、そんな中で会長を引き受け悪化する状況に立ち向かっていた。東京へ通い、関係団体や地元選出議員に陳情する事も度々。当然それは人に頭を下げる事を意味する。本来は自分の本業ではない(Nさんは事業家である)そんな内容のことで人に頭を下げる日々を送っていたのだ。
しかし益田競馬の状況は好転しなかった。廃止についての発表がなされる前日、Nさんは調教師や厩務員、騎手らを集めてこう言ったという。
「明日、市長が益田競馬廃止の発表を予定している。しかし、君たち本当にそれでいいのか。君たちがもう少しでも頑張りたいと思うなら、まだぼくにもやれることが残っている。本当にこのまま終わっていいのか?」
言葉に熱がこもった。ひょっとするともっと激しい表現だったかもしれない。
しかしこれに対する関係者の反応は、すでに諦めを示していた。長い沈黙の後誰かが言った。
「もういいです。無理ですよ」
Nさんは守るべきものが力尽きた事を知った。
数年に渡って競馬廃止の可能性を示され、経費は削減の一途を辿り、ぎりぎりのラインで戦ってきた関係者の精神的スタミナが、もう切れていた。
益田競馬がその長い歴史に終止符を打つ事になった。最終日の賑わいは大変なものだったという。しかし廃止手続きに至る頃、もうNさんは馬主会長ではなくなっていた。役割が終わったのだ。戦いに目的が無くなった。
ある席でNさんが筆者にこう語った。
「たった一行、ある条文を変えるだけで益田競馬は助かるんや」
「それは、畜産というジャンルの中に軽種馬の生産を入れることや」
恐らくはJRAの1次国庫納付金が約3000億円あり、その内の一定の割合の金額が畜産振興に使われている事を指しての発言だろう。しかし驚いた。
我々競馬関係者の頭の中には”競馬は畜産振興に寄与”という定型文が刻み込まれているが、実は競馬の根幹をなす主役、軽種馬は畜産のカテゴリーに入っていなかったのか。
Nさんはこう続ける。
「たった年間1億円や、たった1億円の赤字で益田競馬が無くなってしまう」
当時の益田市の考え方では益田競馬の累積赤字が財政再建団体への転落を招く前に開催を取りやめるべき、とあった。この年も年間1億の赤字が見込まれており、開催休止をやむなく選択したという事になっている。
「たった年間1億円で益田競馬が助かるんなら、安いと思わないか?」
当時「日本で一番小さい競馬場」と呼ばれていた益田競馬が競馬社会に訴えたかった事だ。
「全国の主催者が500万ずつカンパしてくれれば足りる数字なんだが…」
Nさんは本業では立派な社長であり、地元ではその地域の顔役でもある。自分の利益に繋がるとは思えない、逆に続けば持ち出しが増えただろう益田競馬への愛情がこんなセリフまで言わせたのである。
この一連の言葉の意味をじっくり考えてみた。小規模の競馬場、つまりは賞金も小額の競馬施行者が競馬社会の中で果たしている役割について…。そう、「たった年間1億円で救えるなら安いものだ」といえる根拠を。
結論は「リスクを取る存在」である。
歴史的にも経済的にも「全てが大繁栄」という状況はありえない。繁栄の陰に必ずリスクを取る存在が必要となってくる。古代には奴隷制度が当たり前で、これは貨幣価値やエネルギー問題などと形を変えながら現代に続いている。日本では秀吉が栄華を極めた時、同等とは言わないまでも繁栄を部下に分けようとした、と考えれば無謀な大陸への出兵の理由が分かる。これに失敗した事は豊臣政権が後に崩壊する遠因となったのだが、日本の狭い国土にあっては「ごほうび」の絶対量が不足しており、秀吉の拡大路線は最初から構想に無理があったことになる。そこを逆説的に利用したのが徳川家康で各地の大名に参勤交代などの「重税」を課し、アメよりはムチを使って国家の引き締め体制を作り上げた。あの「印籠」に人々がひれ伏す姿はこの体制の象徴と言えよう。結果はご存知の通り、武家政権としては恐ろしいほどまでの長きに渡る支配を可能とした。
少々脱線してしまったが、日本の競馬・馬産はJRAを中心に大きな発展を遂げ、トップクラスの馬の実力は条件・スタイル次第で世界中のどこでも通用するようになった。ハイセイコー・オグリキャップの2大ブームで競馬の社会的な認知度も上がり、一般的な水準からは想像も出来ない高収入を得られる関係者も少なくない。しかしこの繁栄を可能にしたのは一人で5頭~6頭と世話をしている高知競馬の厩務員さんだと筆者は考える。益田競馬や高知競馬は日本競馬のリスクを背負う役割を果たしてきたのだ。決して高収入とは言えないだろうし、華やかな場面は皆無かもしれない。それでも毎日真剣に競走馬たちに向き合って汗を流す姿を見れば、この仕事を無にしてしまうというのはとんでもない事だぞとあなたの直観が訴えるだろう。
種牡馬事業を考えてみよう。ある名馬を輸入してきた生産牧場があるとする。この馬は競走成績もさることながら、初年度から産駒が大変な活躍を見せて一躍人気種牡馬となり種付け料も高騰した。自身の牧場では種付け料そのものは実質なしでいけるわけだから割安の生産馬も提供できるし、あるいは自身の名義で走らせて賞金を稼ぐ事も出来る。しかしその牧場がその種牡馬を囲い込み、自家生産馬だけで大儲けなんていう話にはならない。導入費用を償却するのも次期事業を計画できるのもやはり種付け料収入があってこそである。種牡馬はみな成功するとは限らないし、1頭だけ当たれば事業が継続できるというものでもない。生産から競走まで全ての部分に「ギャンブル」の要素を伴う競馬産業では種牡馬ひとつとってもポートフォリオを導入しなければやっていけるものではない。中小規模の牧場がそれぞれリスクを取りながら生産を続けていかねば大手牧場も事業を継続できない。
競馬開催も同じだ。小さな競馬場がリスクを取れなくなれば中規模の競馬場がそのリスクを取るだけだ。どこかで歯止めをかけないと悪い連鎖に陥るだろう。年間、日本全国で行われるレースの数と競走馬供給には密接な関係があり、これについては「ニワトリとタマゴ」論で言えば明らかにレースがあってこその競走馬供給だろう。逆、つまり「馬が生まれたからレースを組む」という考え方はありえない。そしてレースの行われる場所と日数の関係から、必ず馬券が売れにくい条件が現れてくる。大都市圏で土日祝日あるいはナイターというパイだけでは現在の競馬規模を支えきれない。そこでリスクを背負うのが地方都市の競馬場というわけだ。
資本主義の原則を貫けば自然淘汰という意見を述べる向きもあろうが、残念ながら現制度の下でその原則を振りかざされても困る。規制でがんじがらめにされ、民業感覚でならいくらでもやりようがあるところを不可能とされては打つ手がない。理想で言えばアメリカ競馬のような「水が高い所から低い所へ流れる」自由な制度の中で努力をしたいものだ。高知競馬のリーディングジョッキーだった北野真弘騎手は、現在兵庫の西脇トレーニングセンターで厩務員をして再デビューに備えている。こういった現状はそのままにして、突然現場の人間に「君のところはだめだ」と言われても納得は出来ないだろう。
益田競馬は無念な事になった。もうあの土地で競馬を開催する事はないだろう。しかし新規の競馬場を立ち上げるのには数百億円レベルの投資が必要なのに対して、現状の高知競馬を救うのには「年間たった3億円」で済む。四国には唯一の競馬場。年間を通じて降雪のない温暖な気候。気性の激しい馬や脚元に不安を抱えた馬を再生させる魔法を持った職人がいる。平成14年度末での累積債務はゼロだ。将来への見通しが立てば四国島内に複数の場外発売所がオープンできる可能性を持っている。15日には騎手の婦人らも場内のイベントを企画、推進するなど現場のやる気はまだまだ残っている。
「たった3億円で高知競馬が助かるなら、安いと思いませんか?」
後篇では米・豪・仏の競馬の馬産の関係から始まって、高知競馬が、地方競馬が今後どうあるべきなのか改めて考えていく予定だ。