高知競馬を含めた「日本の競馬全体の行方」を案じながら、元JRA調教師、野平祐二さんが逝去された。
昨年、調教師を勇退されてからは地方競馬を応援する活動を続けておられ、高知競馬へも正式に2度訪問されてファンや騎手、調教師、関係者らにその経験や想いを伝えてくださった。
そのお話の骨子は競馬がまだ市民権を得る以前からの第一人者らしく、いかにしてファンへアピールをするのかという考え方。そして「強い馬作り」への情熱を鼓舞する内容であった。
高知競馬へ同行されたラジオ短波の白川次郎アナウンサーとのトークショーはとても和やかで話が尽きないといったムード。お二人の人柄もあろうが、しかしまた第一線で、第一線であることを意識しながら尽力されてきた人々ならではの魅力のあるものだった。
晩年にしかお会いしていない筆者であるが、華やかな騎手・調教師時代の活躍や瀟洒な雰囲気とはまた別の一面を持った方で、それはすなわちマイノリティ側への理解とも解釈される「深い悲しみ」を湛えていたという事のようだ。希望と絶望の交錯する中で立ち上がろうという終戦後のメンタリティになぞらえるのは筆者の年齢では不可能だが、野平さんのなんとも人懐っこい笑顔の中に「いい時
も悪い時もあるよ、頑張りましょうよ」という暖かい気持ちが浮かいた。それは競馬というフィルターを通した日本人全体への時代を超越したメッセージだったのかもしれない。
昨年の冬、ファン・関係者との交歓会を行ったホテルで別れ際に声を掛けていただいた。「ちょっと来なさい」。野平さんの部屋までよくわからないまま着いていくと満面の笑みで饅頭の包みを渡される。「奥さんと食べなさい」。何かその瞬間に別れ難くなった。
もう会えない事を予感したのかもしれない。わずかな期間のわずかな逢瀬ではあったが、少しでもそのメッセージを伝えていかねばならない。感謝の気持ちを改めてここへ・・・。
野平祐二、ミスター競馬。
騎手として天皇賞や桜花賞を制し、競馬をメジャーな存在にするために奮闘し、海外進出の道を開き、無敗の三冠馬を送り出す。
2001年8月6日 逝去 享年73歳。