「高知競馬に3億円を!」、今回は番外篇だ。後篇のために北米の小さな競馬場がどのようにして経営を成り立たせているかという例を示したい。なんといっても自由主義下の競馬場は「神の見えざる手」によってその存在を左右される。人々に娯楽を提供し、その結果として株主に利益をもたらす。これが出来れば残り、出来なければ退場するだけという単純しごくシンプルな原則がそこにはある。一見厳しいようだが果たしてそうだろうか?エンターテインメントの本場アメリカの、高知競馬場と同規模だったある競馬場へ行った際のリポートを記す。
1996年6月、アメリカ・ワシントン州シアトルへ向かう飛行機の中でフライトアテンダントの女性に話し掛けられた。正確に言うと筆者の隣にいた調教師さんが着ていたポロシャツに書いてあった Race Horse Trainer の文字に反応しての事だったが、やりとりを日本語に直すとこういう内容になる。
アテンダント
「あなたは競馬の調教師なの?」
S調教師
「あーいや、その…」
筆者
「そうです、彼は競走馬の調教師をしています」
アテンダント
「じゃあエメラルドダウンズに行くのね。私もオープンの時から休みの時には行ってるの。ゴール前でワォーって叫んで楽しんでいるわよ」
エメラルドダウンズとは馬産地でもあるワシントン州に新設されたばかりの競馬場の名前。後日、高知競馬の騎手が騎乗した事がニュースになったので名前を覚えていらっしゃる方もいるだろう。
アメリカへ競馬を観にいこうとなれば、大抵の方にとってそれはケンタッキーダービーやブリーダーズカップのような大レース、あるいはNY近郊のベルモントや西海岸のハリウッドパークやサンタアニタといった著名な競馬場が目的地となる。しかし筆者にとって重要なのは「小規模の競馬場がどのように経営を行っているか」だ。
当時、高知競馬の売上げ規模は一日辺り1億円ちょっという数字。エメラルドダウンズは一日100万$というからほとんど同規模だった。手元に残っているレースプログラムの騎手欄に加藤昭文さんの名前があるのだが、この日本人ジョッキーの存在こそが筆者の取材旅行や高知競馬の騎手達の騎乗などいくつかの交流の架け橋となった。ちなみに加藤さんはアメリカでの勝ち星が(その時点で)1800勝を超えていた。こんな存在がいることはいつか別の場所でしっかりと紹介したい。
マリナーズで御馴染みのシアトル市内から車で30分ほど。エメラルドグリーンを基調にしたピカピカのスタンドが見えてくる。入り口には制服を着た案内係が立っており、自動車で来場したお客様を丁寧に誘導する。場内ではとてつもないスピードが出そうなスポーツカーの新車発表展示会が行われ、シアトル市内の水族館のPR隊(チンドン屋さん風でもある)が練り歩いてお祭りムード。オッズ表示板にはバドワイザーやUS・BANK(銀行!)の広告看板があり、装鞍を兼ねたパドックもグリーンを基調にデザインされていて楽しい。
グッズショップも充実している。この競馬場から遠くに見えるマウントレーニアは霊峰であり、カップコーヒーの商品名でも御馴染みだが、このレーニア山をあしらったオリジナルグッズはついつい手にとってしまう魅力があった。
コースは一周1600mほどで主に1000~1200m(時に1700m)の条件戦が行われている。ワシントン州産馬限定レースもあり、この地域が馬産地であることを認識させられる。賞金は下級条件で総額3000$位から。1着で20万円あるかどうかという感じだろう。ちなみにクレーミングレースがほとんどで、出走する馬は設定された金額を提示されれば売らねばならなくなる。賞金総額3300$のレースでは6250$のクレーミングプライスが付けられていた。果たしてどれだけ売買が成立するのかわからなかったが、なにぶんにも野球選手のトレードもドライに捉えるお国柄。普通に競走馬のトレードが成立していてもおかしくはない。
レースの本馬場入場時にトランペッターが登場。ちょっと懐かしのメロディーなどをひとくさり吹いて拍手を浴びると、いよいよ♪パパパ・パッパララパッパパ・パパパパーというあのファンファーレを演奏する。出走馬1頭に付き1頭のリードホースが寄り添うように本馬場へ出てくる。ポニーと呼ばれていたが、なかなか大きな誘導馬たちだ。ネイティヴ・アメリカンが乗っていたようなアパルーサという芦毛にブチのある馬も多い。
レースの実況はロバート・ゲラーさん。香港カップで「フウージヤーマーケンザン」と叫んでいたあの人だ。イギリス生まれでオーストラリア育ち。ヴィクトリアターフクラブでキャリアをスタートさせて、香港のシャティン、ハッピーバレーに抜擢された。更にこのエメラルドダウンズに腕を買われてやってきたという経歴。筆者が日本人と知るや早速フジヤマケンザンの話に花が咲く。
双眼鏡を三脚付きにして、水平方向に動かしながら実況するのは欧米のオーソドックススタイル。モットーは「正確で耳に心地よい実況、そして更にプロとしての技を磨き続ける事」。
ゲラーさんの実況と共に白熱したレースが入線を迎えると勝者はスタンド前にあるウイナーズサークルにやって来る。そして何とそこで後検量(斤量が正しかったかどうかを検査する)をやって改めて勝利をファンと共に噛みしめる、というわけだ。このセレモニーがなんとも心地よい。賭け式は単勝が基本だから、このセレモニーに参加するファンはもちろんその馬の単勝を買っていたわけで、当然ニコニコだ。こんなにシンプルでなおかつ競馬の楽しみを具現化した状況は新鮮で、なんだか日本の競馬関係者は物事を難しく考えすぎるのではと思わせてしまうダイナミクスがここにはある。なんて楽しいんだろう。高額賞金でもないし、距離にバリエーションがあるわけでもない。レースは基本的に先行有利で差しといっても好位からのものがほとんどだ。後にG1を制する馬が出ているわけでもない。なのに、これが本当に楽しいのだ。自分が単勝を買った馬が先頭で戻ってくるように大きな声で「カモン、ベイビー」とくだんのアテンダントさんも叫んでいるのだろう。その歓びが生み出されるような舞台設定さえしていれば、競馬はこんなに楽しいのだ。
あるレースにCaren’s tuition(カレンの学費)という馬が走っていた。
お父さんが娘カレンのためにと取っておいた学費が馬に化けたのだろうか?もしくはカレンさんが競走馬のオーナーとなって最初の馬なのだろうか?こういったひとひねりのある馬名も楽しい。
言うまでもなくエメラルドダウンズを含めて北米の競馬はすべて民営だ。エメラルドダウンズのプレジデントはロン・クロケットさん。日本からの珍客を大変喜んでくれて、少々大袈裟に「マイプレジャー」を連発する。そういえばこの3月にはサンタアニタ競馬場の支配人に7000勝ジョッキー、クリス・マッキャロンが就任というニュースが入ってきたが、これは例えるなら川崎競馬場の開催執務委員長に佐々木竹見氏という登用だ。競馬場の顔、そう考えれば支配人の役割が大変大きい事が分かる。気さくに我々と触れ合うロン・クロケットさんの姿にまたプロフェッショナルの姿を見た気がする。
さて発売の方の話。まず発売窓口は日本のように仕切りは無く、すべてオープンカウンターにレジが置いてある形式だ。マークシートは必要なく口頭で買える。しかも口頭で“流し”や“ボックス”も受け付けてくれる。男女共にいるのだが、全員手際がよく非常に愛想もいい。聞いてみるとどうも歩合制らしく、つまり自分の窓口で沢山売れるとボーナスがあるそうなのだ。さすがはチップ制のお国柄!これなら放って置いても効率は良くなる。サービスは向上し、レジへの入力、発券の技術は“自分の為に”上達するのだ。
エメラルドダウンズの前半のレースの間に突然サイマルが入る。東海岸がメインレースを迎えたのだ。牝馬の重賞競走で名牝セレナズソングが出走していた。筆者も当然参戦してエクザクタ(馬単)でセレナズソングの2着流しをかけたが、結果はセレナズソングの圧勝…。ここで問題なのは筆者の馬券ではなく、2着流しという命題に英語力不足の筆者が挑んでも窓口の女性が明るく対応してくれ、更にあっさりと発券してもらえたことだ。
あと、頭数に応じて賭け式を変更して購買意欲をそそっているのも印象に残った。基本は単勝だから、この場合連勝式を出走頭数に応じてエグザクタ(連勝単式)、トライフェクタ(三連勝単式)と使い分けていた。こういった柔軟な対応は生き残りを賭けた小規模競馬場ならではの工夫というべきか。
さてここからは厩舎エリアの話題。観光旅行ではないので何よりもこちらが取材のメインだったのだが、毎朝早起きして通うと徐々に顔も覚えてもらい、簡単な言葉を交わすのが普通にできるようになる。そして知れば知るほど、北米競馬の真骨頂である合理性を肌身に感じる事となった。
まずは吊り草。元々が草原で過ごし、肉食獣の恐怖から逃れる必要があった馬には“常にエサを食べる”という習性がある。よって人間に飼われて厩にいる時間が長いと寝藁を食べたり、さく癖、グイッポ、熊癖などの悪い習慣が生まれてしまう。そこでいつでも食べられるようにカロリーの少ない乾草を上から吊るしておけば、ストレスを減らす事が出来るというわけだ。
続いてウォーキングマシン。調教そのものは競馬場のコースを使うわけで、高知競馬を始めとする日本の地方競馬と大差はない。ただしどうしても不足する運動量をウォーキングマシンの活用で補っている。厩舎地域には沢山のウォーキングマシンがある。土台から4本のアームが伸びただけの簡単な仕組みだ。
円形にウッドチップを盛ってあり、4頭が手馴れた様子でくるくる歩いている。
馬場から厩舎に戻るとまず洗って拭いて馬服を着せ、ウォーキングマシーンへつなぐ。次に戻って来た馬をまた順番にウォーキングマシンへ。そして運動が終わった順に馬房に戻していく。これなら調教をつける人間と厩務員の2人でかなりの頭数を担当できる。
基本は「食べさせて、運動をさせて」だ。科学的なアスリート作りの先進国だけにその辺りの考え方は徹底している。よく「飼い葉があがって…」という表現を見かけるが、ここでは「食べないなら食べたくなるようにするだけ」で、糖蜜などを添加して食欲増進に結びつける。サプリメントも豪勢に使う。ラシックスやビュートの問題はともかくとして、合理的な考え方は日本でも取り入れるべき部分が多い。
日米のコスト差はいかんともしがたい。なにしろ先ほど書いたサプリメントは30キロ入りの袋にビタミンやらミネラルやらと配合したものが入ってわずか10$だという。これなら一食ごとにひしゃくですくって入れてもそれほどの出費にはならない。ウッドチップはタダ同然の価格で廃材業者が提供するし、場内の馬道にしいてあるラバーシートはNFL、フットボール場のフィールドでクッションに使っていたものの廃品利用だという。ここでよく耳にしたのが、何であっても無料、タダのものはないよという発想だ。すべてコストで考えられていて、その代わりに非常に低価格となっている。大量消費社会ならではの考え方であって、これも日本で簡単に再現できる気はしないが、アメリカでの経済活動を考えるに当たってのひとつのヒントになりそうだ。
余談だが、土地が安いから牧場・外厩を開くのにも低コストでいける。1エーカー(1200坪)あたり70万円しないという土地を見たが(ついでに買わないかと商談をされた)牧場用地としては問題のない場所だ。ワシントン州は牧草チモシーの優良生産地で、雪溶け水にたっぷり溶け込んだカルシウムを始めとするミネラルは、本来ならばケンタッキーよりも馬産に向いているという。筆者もチモシー畑に入ってちょっと食べてみた(噛んでみた)が、甘味を強く感じてなるほどと思った。小さな生産牧場の井戸から湧き出る水のうまさも特筆すべきものだ。遠い先祖にミルリーフがいるというマイナー種牡馬のイヤリング(1歳)牡馬はまるで2歳かと思うくらいに立派な体をしていた。
騎手の免許はラミネートカード1枚。外国人ならビザの問題がうるさいが、そうでなければほとんど誰にでも与えられる。そしてアメリカのどこの競馬場でも乗れる事になる。ただし、ジョッキーになることは簡単だが騎乗馬を得る事は恐ろしいほど難しい。これは大学の入学試験と卒業の問題にも似て、日米の考え方の違いを如実に表す例だ。日本における調整ルームのような制度もなく、レース当日に騎手が現れなかったので騎乗変更なんていう事は日常茶飯事のようで、そんな場合でも特にペナルティーはない。要は自己責任なのだ。
調教師が馬を所有する事、そして馬券を買う事も認められている。馬主になるために厳しい審査があるなんてこともない。年収の規定があるわけでもない。
この国では大人になれば相当な自由を与えられる。ただし自己責任の範囲も相応に大きいと考える。騎手・調教師ならばその立場に応じた行動をしていかねばたちまち仕事が減るし収入が減る。公正に関わる問題ならば免許を失う。馬主が預託料を滞納すれば馬はすぐにでも他人の手に渡る。先ほどの馬券発売窓口の問題でもそうだ。しっかりと自分の仕事を頑張れば収入が上がる、そうでなければ下がる。ある人間が退場すればすぐさま他人が取って代わる。ここにはその「神の見えざる手」に支配されたシンプルな原則のみが働く。
徹底した合理化と、娯楽に対する理解の深さ。
規制を極力排除した自由制度と、それに対する自己責任。
アメリカの競馬は馬産を含めた巨大産業だが、その裾野はこういった原則による競争を基に存在を可能にしている。コストの問題だけは難しいにしても、日本の競馬が、特に地方競馬が直面する問題を考える時、上記したアメリカの競馬場の在りようは大変参考になるのではないか。ただただ競馬というものを「賭博罪の適用を阻却されるアドバンテージ」だけ、という状況の上にあぐらをかいて経営してきたツケは大きい。小規模競馬場が体現しうる「エンターテインメント」を考える時間はもう残されてはいないのだろうか。