あっという間に夏も過ぎ、太陽からそそぐ日差しの色合いに秋を感じる時期を迎えました。高知県は「よさこい高知国体」という大きなイベントを控えてまだあわただしい状況が続きますが、それでも真夏の余韻が消えていくと、心落ち着くシーズンへと静かに移行していきます。
さて今年2002年は競馬にとって非常に象徴的な出来事が続きます。
これは個々のニュースや、達成された記録と言う事ではなく、後に2002年は日本の競馬の「ターニングポイント」だったねと回顧されるほどの重大な内容の出来事です。では4つほど挙げてみます。
1、種牡馬サンデーサイレンスの死亡
2、益田競馬場休止
3、中央競馬騎手免許に関する改定
4、JBC競走を中央競馬が発売協力へ
1のニュースはご存知の通り、日本の競馬を大きく変えた種牡馬の死亡です。もちろん極端に若くしての死亡ではなく(1986年生まれ・16歳)、相当な産駒数を残しての事ですから(今春までの産駒数1225頭、今年も159頭に種付けしていた)、大いに残念ではあってもそれ自体はある意味天寿と言ってもいいでしょう。ただし象徴的にサンデーサイレンスを失った日本競馬と置き換えれば、これほどまでの種牡馬を日本で繋養できていた幸せを改めて思わざるを得ません。
産駒は仕上がりの早さ・優れた競走意欲・類稀なる瞬発力を兼ね備え、2000mを中心とした距離適性も時代に愛され、配合された牝馬の特徴を良く体現させ、無駄な脂肪がつきにくく骨量に恵まれ、更にノーザンダンサーもミスタープロスペクターも持たない血統構成はほとんどの牝馬と配合可能であったなどなど…、最強種牡馬を語るにはあまりにも多くのファクターが挙げられます。中でも、最も無視できないのが「活力」という部分だったのですが、これが一番説明しにくいところでもありますね。競走馬に限らず、「種」としての大きな変革が度々起こります。サンデーサイレンスはサラブレッドの「変革」なのかもしれません。
それは競走でも市場でも大きな支持を受けました。スプリント部門だけは少々弱点と呼べたかもしれませんが、それ以外のカテゴリーであらゆる大レースを制し、海外での実績も徐々に積み重ね始めていました。セレクトセールに代表されるセリ市場でも、サンデーサイレンス産駒で母系に大きなセールスポイントがあればあっという間に1億円の大台を越えていきます。筆者は一声1000万円以上の単位で競りあがる状況(現馬名ボーンキングが上場されたセレクトセール)を目の当たりにしましたが、あの時はサンデーの男馬なら「雰囲気一つで1億円」のムードを感じて驚いたものです。実際に今年のセレクトセールでは3億5千万円馬が出ましたね。
どんなに大金をかけて優駿を作りだしても、その馬が種牡馬として成功するかどうかまったく分からない世界にあって、サンデーサイレンスがこの時期日本で成し得た事は恐ろしいほどの成功を見ました。ポスト・サンデーサイレンス、という今後は本当の意味での日本競馬の成熟が試されるでしょう。
さてニュース2は益田競馬場の休止です。例え休止という言葉が実質的に廃止を意味していても、あえて休止と書かせてください。
サンデーサイレンスがこれまでの日本競馬の躍進の象徴ならば、益田競馬は「日本一小さい競馬場」として底辺を支えてきた存在でした。その二者が同時に舞台から去った事になおさら象徴的意味合いは大きくなります。
アメリカやオーストラリアといった競馬開催国はいずれも大変多くの競馬場を抱えています。そして両者に共通する事は競走馬の生産大国であるという点です。広大な面積を誇る両国は馬による移動が不可欠だった歴史からも国民的娯楽としての競馬のあり方が根本的に違うわけですが、一方で競馬のシステムの作り方が明快です。例えば100万円の賞金を目指す馬と、1000万円の賞金を目指す馬は、それぞれの賞金を提示する競馬場で走ればいい、というだけのことなんです。日本のように組織も形態もまったく違う垣根だらけの競馬場が”囲い込み”的に競馬を開催するシステムなんて、どう考えても硬直化を免れません。競走馬・騎手・調教師・厩務員・馬主、それぞれが自分のスキルに合ったレベルで競いあえるという原則がアメリカやオーストラリアでは実現しているのですね。これは野球でいうところのメジャーリーグとマイナーリーグの関係に似ているかもしれません。
益田競馬場は優良経営を絶賛されていたころがありました。経費をとにかく軽減し、職員の方も複数の役職を兼務するような形で本当に頑張っていました。一方今年度の競走馬の出走手当は2万円。これに1着賞金の10万円を足すと12万円になりますが、ここから調教師・騎手・厩務員への進上金を引くと馬主に支払われる額は9万6千円程度。勝った馬でさえ預託料相当分しか稼げない…。経費の削減は可能な限り行ったという言葉に偽りはなかったと感じます。
しかし売得金額向上策については場外発売所の展開も出来にくく、他場の場外発売も結果的に自らの首を締める格好になり、最終的には益田市が補償金を含めて負担できうる限界の累積赤字額に達したということでの決断となりました。何事にも100パーセントということはないでしょうが、自助努力は重ねた上での休止。そう考えると各地の地方競馬の問題は自助努力で解決できる範囲を超えてきたのかもしれませんね。
いやもちろん大前提として、日本の競馬がどうこうということを益田市が考える義務はありません、少なくともシステム上は。ただ昨今顕在化してきた中央・地方一本化の流れがもっと早ければ、益田競馬場をなくさずにすんだかもしれないと思うのです。次回に取り上げる3、4のニュース、つまり安藤勝巳騎手の中央競馬騎手免許受験問題や、JBCの中央競馬での発売など、動く時は一気にというのが常です。中央競馬には3歳未勝利戦や3歳以上500万下戦の登録超過による除外ラッシュという大問題があります。つまり中央競馬には入厩馬が溢れ、出番を待っている。一方地方競馬には慢性的な入厩馬不足に悩む競馬場がある。じゃあ例えば地方競馬のある場でそれらの競走をやったらいいじゃないか、という事が昔は夢物語でしたが今では条件交流という形式で実現しているわけです。これが進めばいずれは実質的に競走馬はどこででも走れる、つまりアメリカ式が実現する事になりますよね。
益田競馬場の休止は競馬マスコミの中にも「日本競馬」に対する危機感を強めました。一気に全国各地で地方競馬クライシスが起これば、最終的には中央競馬にも大きな影響が及びます。馬産を伴わない香港式の競馬でも良いと、一番の「出資者」である競馬ファンは認めるのでしょうか?地方競馬の行く末はもはや日本競馬のシステム改革にゆだねられているのではないでしょうか?