基礎体力作りと、レースに臨むだけの精神面のケア。
駆け足ながら続いて書かねばならないのは調教時計の考え方だろうか。我々が勝ち馬の予想をする時に、馬の能力はそれまでの成績や持ち時計から推し量り、馬の体調を判断するときには好調時の馬体重との比較、パドックの気配や歩様、そして調教時計を参考にする事になる。
以前にトーヨーシアトルが破竹の勢いでダートグレードを進撃していた頃、ある栗東トレーニングセンターの調教師がこう教えてくれた。「こうだったよ(と言って手綱を抑える格好をする)」。つまり抜群の手応えの調教だったという事を表現しているのだが、まさにそのニュアンス通りにトーヨーシアトルは東海菊花賞(GII)を圧勝して見せた。
お金を払ってでも見たいような調教というのがあるらしい。
馬は闘志満々で体調も抜群に良いのだが、レース前の追い切りでは掛かることも無く黙々とハミを取って手応え充分の走りを見せる。しかもそれは持ったままであるにも関わらず、抜群の時計になってしまうのである。これが極上の調教。恐らくレースでも最高の結果が出せるだろう。
一方で体調や基礎的な乗り込みが不十分であるにも関わらず、無理やり時計にしてしまう調教ももちろん存在する。時計だけ出しておけば格好がつくなどとよもや考えているわけではなかろうが、故障につながるだろうし、また精神的でももうレースでは走りたくない状態になってしまう馬がいるという最悪のパターンも考えられる。
調教時計を機械的に判断するのはとても危険だ。しかしここでの本題はそれだけではない、ここには強い馬作りへの重大なヒントが隠されているように思う。
午後の乗り運動の重要性や、ウォームアップやクーリングダウンの必要性を唱えるのと同じように、ここには真のアスリート作りの鍵がある。米三冠馬アファームドを育てたラズ・バレラ調教師がスプリンターと見られていたボールドフォーブス(ケンタッキーダービー)に施したように、そしてなんと10歳(年齢は旧表記)で初重賞・建依別賞を制したブリッジテイオーがそう調教されたように、じっくりと長い距離を走らせる調教の有為性を見直したい。そうやって手間隙を掛けて力を付けた馬が、持ったままで叩き出す時計こそがグレードレースに通用する調教ではなかろうか。
さっと馬場に出してさっと時計を出すオートマチックなやり方はあくまでも人間の側の都合によるものだ。繰り返しになるが限られた条件の中で結果を出すためには不断の努力が必要になる。しかしグレードレースに挑むという事はそれだけの努力をする価値を十分に持っているだろう。調教時計ひとつをとっても強い馬作りへの課題と目標は隠されているのだ。
高知競馬場内実況 橋口浩二