11月28日(日)は高知競馬の歴史に新たな1ページが刻まれる日となった。言うまでもなくマルチジャガーによる福山・全日本アラブグランプリ制覇である。
このレースは過去には西日本アラブダービーという名称で行われていたが、平成12年からは全国交流としてアラブ3歳の日本一を決める競走となった。過去10年の勝馬にはミナミセンプウ、タッチアップ、ケイエスヨシゼン、ニホンカイユーノス、サンバコール、ワシュウジョージ、ミスターカミサマ(この年から全日本)、フジナミスペシャル、ミスターサックス、スイグンと錚々たる名馬が名を連ねており、これまで高知所属馬の成績でいうとイチヤとチーチーキングが3着になったのが最高だった。
アラブ系競走馬の絶対数が減っており層が薄くなっているとはいえ、このタイトルを、しかも7馬身差を付ける圧勝で掴み取った事は大いに意義がある。改めて関係者の皆さんに祝福をさしあげたい。
そしてまた高知競馬関係者の一人として感謝を申し上げたい。
過去における高知競馬所属馬の交流競走遠征の中で、筆者が把握している範囲での勝ち星というのは
平成3年 タカサゴスピード
戸梶由則騎手 園田・若葉賞(OP特別・楠賞TR)
平成9年 イージースマイル
赤岡修次騎手 佐賀・花吹雪賞(重賞・JRA桜花賞ステップ選定)
平成9年 ハッコウマーチ
中越豊光騎手 佐賀・西日本地区招待アラブ大賞典(重賞)
平成10年 チュウオーロッサ
徳留康豊騎手 福山・瀬戸内賞(JRA補助馬)
平成11年 パワーレイク
北野真弘騎手 福山・瀬戸内賞(この年から重賞)
平成16年 マルチジャガー
西川敏弘騎手 福山・全日本アラブグランプリ(重賞)
と、いうラインナップとなり、これが6勝目。
なにしろ高知競馬の場合は地理的条件もあって恒常的に輸送競馬を行っている場とは遠征の絶対的経験値が異なる。高知競馬で見せる能力を遠征では発揮できぬまま敗退した例も多かっただけに、上記の各馬が見せたパフォーマンスは相当高いもので、なおかつ調教師、厩務員、騎手に馬主らも含め、その馬のスタッフの成し得た仕事は大きなものだ。もちろんこれまでの遠征の中には勝利≒1着に手が届かぬまでも、偉大な結果を残した例がある事を付け加えておくが…。
さて今回のマルチジャガーの遠征には2つのポイントがあった。
ひとつは“瀬戸内賞の雪辱”で、もうひとつは“マルチジャガー戦
法”の確立だ。
高知ではデビュー8戦目から負けなしの快進撃。銀の鞍賞やマンペイ記念の優勝はともかく、早くから古馬一般戦で見せた“荒削りながら底の見えない”快勝続きがこの馬の可能性を示唆していた。
特に瀬戸内賞へ遠征する直前のB級選抜戦ではピアドティジェイやサファリルージュといった実力牝馬を寄せ付けず6馬身差の圧勝。
これで13連勝としているからには瀬戸内賞で一番人気に推されたのも無理はない。
しかしその瀬戸内賞、1周目スタンド前では持ちきれないほどの手応えを感じさせながら、3コーナー辺りで突然内にササって西川敏弘騎手のハンドリングに応えなくなる。結局最後までまともに追えない状態は続き、コンマ5秒差の4着に敗退。圧倒的人気に推されていただけに、屈辱を感じる敗戦だったであろう。例え勝つ為に必要な能力を秘めた馬でも、そう簡単に勝てるものではない。
振り返れば、それまでのマルチジャガーには確かにハンドリングの危うさが付きまとっていた。後に力量差をはっきりと見せ付けた相手でも、例えば銀の鞍賞ではエメラルドオーカンに、マンペイ記念ではロックハートに、それぞれコンマ2秒差で1馬身という着差しか付けていない。これはいずれもやや最後の直線でササり気味だった事が原因だった。西川敏弘騎手も当時、「手応えがあるのかないのかさっぱり分からん、不思議な馬」とコメントしているから、難しい馬だったのは確かだ。
しかし松木啓助調教師は瀬戸内賞の敗戦をこう振り返る。
「実はあの頃ちょうど夏バテが来て、まあ連勝連勝だったんで堪えてきたんでしょう。それで西川騎手から、追い切りをきつく行うと一気に調子が落ちるかもしれない、と進言がありました。まあ確かに体調としては一番落ち込んだ時期で、それに輸送もあって息が入らずあんな形になったんじゃないかな」。
ここで無理をしていたら秋は立て直しに時間が掛かったかも知れない。そう考えると結果的にこの時の判断は正しかった。また陣営はこの敗戦から、福山競馬のレースの流れを肌で感じ取っていた。
「福山のレースは先行争いが激しくなっても、必ず道中で息が入るようなペースが落ち着くところがある」。こういった複数の伏線が先述した2つのテーマを成功に導いていく。
福山遠征後、やや間隔を開けて立て直してから、マルチジャガーはこれまで以上にその能力を発揮し始める。コンマ3秒差、コンマ8秒差でB級選抜を2連勝すると、同世代相手の荒鷲賞TRは3秒差の大楽勝。更にAB混合戦を2秒3差で圧勝すると、こんどは返す刀でついに古馬トップクラスとの対戦に挑む事になる。ここは流石にメンバーが強力で、南国王冠大差勝ちのダスティーを始め、コウエイエンジェル、イケノグレイス、スカイプリティーらの強豪牝馬、澱みのないペースを生み出すスピード馬、ピアドオスカーらが腕を撫して待ち構えていたが、なんとここでのマルチジャガー、ここまでの格下メンバーを相手にするのと同じように、向こう正面でひとマクリすると3コーナーでは早々と先頭に立ってしまった。これにはさすがに実況していても驚いてしまう。このまま押し切ってしまうのなら展開も何もない、ただただ怪物だということになる。
しかしマルチジャガーは押し切るどころか、更に差を開き始めたのだ。いやはやこういう時には不謹慎ながら笑いがこみ上げてくるもの…。そして2着ダスティー以下に付けたタイム差が2秒という大差。不良馬場とはいえサラブレッドのA級でもマイル戦1分44秒台というのはなかなか出ないから、勝ち時計1分44秒4というのは破格のものだった。
こうなると次戦の荒鷲賞は重賞とは言え勝負付けの済んだ同世代が相手だから、勝ち方が問われる1戦となった。このレース、マルチジャガーは最内枠ということもあってかスタート後200mほど進んだ所で先頭を奪う。ロックハートを行かせて好位集団から早め先頭というのが戦前の予想だが、明らかに力量差のあるメンバー相手になら先手も想像の範囲ではある。
しかし結果的にこの先行策が次戦へのヒントを生む。先頭に立ったマルチジャガーはこれまでになくピタリと折り合ったのだ。元々ゲートが速いタイプでもないので、先行策というのは恐らく初めてだろう。好位か中団で掛かるのを抑えながら早めに動き出す、というイメージをこの日は覆した。そして先手から楽々後続を突き放して付けたタイム差は、またまた2秒5の大差。
「これだ!」。ピタリと折り合った上での圧勝に西川敏弘騎手も松木啓助調教師も全日本アラブグランプリでの作戦を思い描いた。
その荒鷲賞後に松木啓助調教師はいつもより強気なコメントを残している。「瀬戸内賞の時は調子もドン底だったが今回は違うよ。体も引き締まって変わってきたし、荒鷲賞を叩いてピークの状態で福山に向かえる。まず間違いなく好勝負するでしょう」。確かにこれまでの遠征直前とはまったくニュアンスの違うコメントだ。戦前に“たられば”を言うのが負けた場合に備える逃げ口上であるならば、この時の松木調教師はまったくそれを口にしなかった。並々ならぬ自信である。西川敏弘騎手も「この馬で全国を狙う」と堂々公言しているのを聞いていたから、正に陣営は勝てるつもりで福山へ乗り込んだというわけだ。
さあそしていよいよ全日本アラブグランプリのゲートインの時間となった。瀬戸内賞での事があるからか、決して専門紙の印がマルチジャガーに集中したわけではないらしい。しかし単勝はこの日も1番人気である。
スタートは一息ながら、手綱をしごいて先団に加わるマルチジャガーと西川騎手。福山のヤスキノショウキが先手という形勢になりながら、ここでマルチジャガーが前にでる。掛かってしまったのか?
しかしこれは戦前からじっくり練られた作戦であった。
「ある程度前に付けようとは思っていました。長距離戦だけに前にいた方が有利だろうと。それからはペース次第で、前を行く馬が飛ばしてくれれば好位でいいし、スローで掛かるようなら思い切って先頭に出ようと決めていました」。これは西川騎手の戦後のコメントだ。松木調教師も言う。「荒鷲賞の時、先頭に立ったとたん折り合いが付いた。あれで、よし福山でもああいう形でいこうと」。
隊列が定まってからの動きだけに、場外発売をしていた高知でもこのマルチジャガーの戦法に驚きと不安の混じった歓声が上がった。
しかも先頭に立ったとたん、この日も完全にマルチジャガーは折り合っている。掛かり加減の手応えを見慣れているファンには、果たしてどれくらいの余力を残しているか見極められない緊張の時間が続く。
しかしそんな心配が杞憂に終わるまで、それほどの時間は経たなかった。2周目の3コーナー、軽く仕掛けられたマルチジャガーがヤスキノショウキを引き離していく。独走へと移るマルチジャガーの見慣れた姿がモニター画面の中に映る。まぶしいほどに躍動するその走りが、後方の馬群を今日も置き去りにしていった。まるでそれが高知競馬場の出来事であるかのように…。
瀬戸内賞の雪辱は7馬身差の圧勝で果たされた。
そしてまたスピードの持続力という長所は分かっていながらも、もうひとつ掴みにくかったマルチジャガーという馬のレースの戦い方も、今回の全日本アラブグランプリではっきりとしてきた。
この後は高知競馬の南国王冠高知市長賞(平成17年1月1日)に向かうというこの馬にとって、最大の敵はアラブ競馬の縮小ではなかろうか。来年、古馬となってからの交流競走は以前よりも選択肢が少なくなるのが必至。果たしてその卓越した能力をどういう形で発揮していけば良いのか。怪物らしい悩みが生じてくるかもしれない。
レース後、コメントをもらおうと西川敏弘騎手に連絡を入れた。
電話を通じて伝わる西川騎手と真紀夫人の弾んだ言葉と、背後に聞こえる賑やかな声、声、声。
「レース前の強気のコメントが冗談やなかったって分かったろ」と松木啓助調教師。そして続いて電話口に出たのはなんと千頭喜代子オーナー、「こんなに嬉しいのは、馬主になって初めてです」。
電話の向こうには勝利を勝ち取った人々の喜びが溢れていた。
そして高知競馬場で観戦した人々が口々に掛けてくれる高揚した言葉がまた、脳裏に甦ってくる。